「芦生の森にて」

 芦生の森というのは、京都、福井、滋賀の県境付近にある原生林で、正式には「京都大学芦生研究林」といいます。先日、この森で開催された、2日間のガイドツアーに参加しました。一般的なトレッキングのガイドツアーと言えば、登山道を歩きながら、花や草木の解説を聞き、自然礼賛するというパターンが多いものですが、そんなイメージを一新させられる内容でした。
 初日のガイドは、美山の若き猟師の藤原誉さん。猟師道を歩き、猟師の視点で、動物の痕跡や森との関わりなどを解説してもらいました。スタートは、通常の芦生研究林の入り口なのですが、一般の登山コースを尻目に、道らしい道もない山の急斜面を、ずんずん登り始めます。「ちょっとしか歩かないですよ」と聞いていた我々参加者は、唖然としながら必死に付いて行きました。途中、幹に付いた鹿の食痕や、杉の熊剥ぎ、糞、足跡など、様々な動物の痕跡が観察できました。動物の姿を、昼間に見るのは難しいことのようですが、小鹿とばったり出会ったり、遠くで大型獣の移動する音が聞こえたりと、ケモノの住む森の雰囲気を感じることができました。
 翌日の案内人は、芦生山の家の館長の井栗秀直さん。秀さんは、美山の地元の人で、芦生の森の変遷や、人と山の関わりなど豊富な知識を持っていらっしゃいます。許可車で長治谷作業所まで入り、上谷から湿原を通って野田畑谷へと、芦生の森の最深部に迫りました。
 野田畑谷は、台地の縁に続く小さな谷です。平坦で歩きやすい地面が続き、樹齢数百年の巨木があちこちに立っています。この辺りは、かつて鬱蒼と下草の生い茂る谷だったそうですが、増えた鹿が食べ尽くし、下草はほとんど壊滅状態になっています。毒のある植物だけが不気味に勢力を広げていました。福井県との県境に到達すると、芦生の森の外はミイラのように細く歪んだ杉が続く、荒れ果てた植林地になっています。考えてみると、普段道路沿いから見る森林と言えば、こんなものかもしれません。人の手によって、いかに森が変わってしまうのか目の当たりにしました。
 芦生の森は、1921年から99年契約で、京都大学が地上権を得ています。当初は、全域で植林事業を行う計画だったようですが、木材価格の低下やコストの問題で、大部分が放置されています。また、ダム建設の計画も進んでいたのですが、地元の反対運動のおかげで、どうにか水没するのは免れました。芦生の森が現在の姿を保っているのは、奇跡的なことなのです。
 私にとって「芦生の森」のイメージは、「太古から変わらない原生林」だったのですが、今回のプログラムに参加して、その認識は全く間違いだったということに気が付きました。実際は多くの場所で植林や伐採が行われ、商品価値の高い真っ直ぐな大木は、既に多くが切り倒されているそうです。さらに、温暖化、酸性雨、台風などの影響で、環境のバランスが崩れ、楢枯れ、鹿の食害、土砂崩れを引き起こし、この数年で森の景観が一変しています。何も知らずに、一人で歩いたら、「素晴らしい森だなぁ」と思っていたかもしれませんが、実態は危機的な状況にあることを教えられました。今後、芦生の森がどうなって行くのか分かりませんが、森の再生能力を信じつつ、人が関わっていくべきことを考えようと思います。